Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

京都の「オーバーツーリズム」に関して一考してみた

今年も11月半ばに差し掛かり、紅葉が色づき始めてきた京都。
今や、どの季節も観光客であふれかえっている京都だが、桜のシーズンと並んで最も多いのがこれからひと月ほどのこの季節だ。

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が、前にも少し述べたことがあるのだが、観光客が増えれば増えるほど京都府民/市民として憂鬱になるのが「オーバーツーリズム」の問題だ。いろいろな国や地域から京都に来てもらえるのは非常に有難いことなのだが、普通に生活している住民と観光客の棲み分けは容易ではない。


交通網の整備が置き去り?

一口に「オーバーツーリズム」と云ってもその状況は様々だが、今、最も大きな問題は市内の移動手段だ。
今、京都市内は宿泊施設の建設ラッシュで受入れ可能な客数は増加の一途だが、一方でそれをさばけるだけの十分な交通網が整っていないのが実情だ。

京都を訪れた経験のある方はご存知かと思うが、市内の主要交通手段は市バスになる。地下鉄もあるにはあるが、東京や大阪のような充実した路線数には遠く及ばないし、主要観光地へのアクセスは市バスとの乗り継ぎが必要になるケースがほとんどだ。

しかしこの市バスは、通勤、通学、通院、買い物などに市民が日常的に使う”足”でもあるので、その兼ね合いが非常に難しい状況になっている。今やダイヤの大幅遅延はもちろん、満員でバス停を通過してしまうことも日常茶飯事になりつつある。そんな状況だから、観光に携わらない大半の市民にとっては不便ばかりが目立つ印象だ。


京都で地下鉄網を拡大出来ない理由

本来であれば、もっともっと地下鉄網を充実させて移動手段を安定確保したいところであるが、そうもいかない理由がある。

その理由は、皮肉にも京都という土地柄ゆえの事情が大きく影響している。
京都は都として1200年もの歴史を重ねたこと、そして太平洋戦争での戦災を免れたことで、いまだに市内のそこら中に未知の遺構や埋蔵物がある。つまり、地中を掘れば掘るほどいろいろなものが見つかるため、そのたびに工事の中断が頻繁に起こる。そのため予定工期は遅れ遅れになり、それに伴って余分な費用が発生していくのだ。京都の地下鉄運賃が日本一高いといわれるのも、そこに理由があるのだ。

それは地下鉄に限らず、建造物なども同じだ。掘削工事が開始されても、そこで貴重な遺構などが発見されれば、何年も工事を止めて学者や研究者が張り付くようなことが、今でも頻繁にあるのだ。地下鉄が開業されて40年近く経過した今でも路線数がほとんど増えないのは、そんな事情も大きく影響しているからだ。

もっとも、道路沿いからでも楽しめる寺社仏閣や文化財が多くある京都市内を、車窓から何も見えない地下鉄で移動するのは勿体ないし、出来れば地上での移動手段で円滑に楽しんで欲しいと思うので、私自身はあまり地下鉄の路線が増えることを望んではいないのだが。


路面電車の復活を願う

もともと京都市内は路面電車が走っていた。1895年に日本で最初に営業運行された路面電車だ。
しかし市内中心部は道路幅が狭いうえに、高度成長期のマイカー普及に伴う交通量の増加で路面電車との棲み分けが難しくなり、押しやられる格好で少しずつ路線が減り1978年に全廃となった。その後は市バスがその代わりを務める形になり、さらに1981年には市内の中央部を南北に貫く地下鉄も開通した。その後、1997年に東西線も開通したが、その後は新しい路線は開通していない。

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そんな状況を打開するため、私はバスに代わり路面電車の復活を願いたい。
地下鉄網を拡充するのに比べれば費用も工期も圧倒的に少なくて済むだろうし、輸送力向上、渋滞緩和、さらには環境負荷軽減にも効果があるはずだ。

今後「オーバーツーリズム」の進行によって観光客と市民の共存が難しくなり、どちらも嫌な思いをするのは本意ではないと、皆思っているはずだ。ラグビーW杯でも改めて取り上げられた「おもてなし」文化を、気持ちよく提供できるマインドになれる環境作りの一環として、多くの人に気持ちよく訪れてもらうためにも、是非とも検討して欲しい。

多くの路面電車が活躍しているヨーロッパの観光都市なども大いに参考にして、観光客が楽しめる環境と市民生活を両立出来る京都になることを切に願っている。