Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

改めてコロナ禍によって見えてきた日本の「ものづくり」が向かうべき方向性 1

日本では1月に始まった、このコロナ禍。
未知のウィルスへの対応に、政府も国民も右往左往している感は否めない。
当面は、このウィルスに世界中が一喜一憂する日々が続くことを覚悟するしかないのであろう。

そんな中、日本の製造業にとっては、この僅か半年少々で非常に大きなインパクトはあったのは間違いない。

かなり以前から、大量生産/大量消費、終身雇用/年功序列の終焉、IoT、RPA、DXへの取組み、などなど、製造業に課題が山積しているのは明白だったが、改革や投資をズルズルと先延ばしにしていた企業が非常に多いことが、これを機に否応なくあぶり出された。真に焦っている経営者も多いことだろうし、このままいくと本当に存続が危ぶまれる企業も多数出るだろう。

私はバブル絶頂期以降、長年に亘って大手製造業でエンジニアとして勤めてきた。
バブル崩壊、深刻化するデフレ、生産拠点の海外シフト、ITバブル/崩壊、リーマンショック、2度の大震災、第4次産業革命、など、いろいろな紆余曲折を経験してきた。その間の日本の「ものづくり」を振り返ってみると、ひたすら「コスト」と「効率」との戦いだったような気がする。

バブル崩壊以降、長期に亘るデフレ経済下においては、消費者の購買行動における最優先項目が「低価格」という意識が浸透してしまったため、企業は売価を下げることにひたすら注力せざるを得なくなったのだ。

そしてそれが非正規雇用の増加など人件費抑制につながり、結果的に購買余力が減るという、いわゆるデフレスパイラルを引き起こし、今なおその影響が色濃く残っているのは紛れもない事実である。

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もともと日本人は同調圧力に弱く、組織においては「出る杭は打たれる」文化であるが、これは製造業における少種大量生産には都合のいい文化だ。加えて生真面目かつ権威者に対して従順な国民性も相まって、自動車や家電に代表されるように同じものを高い精度と品質を保って、大量に効率よく作ることで世界を席巻し栄華を誇ってきた。しかし、そんな古き良き時代の残像が様々なところで悪さをして世界の潮流から取り残されたのが、今の日本の製造業である。

その取り残された原因を掘り下げていくと、非常に複雑にいろいろなファクターが絡み合っていて端的に語ることは難しい。

それらは今後、本ブログで一つずつ分析し解説していきたいと思うが、まずは製造業に勤めるエンジニアや職工などの置かれた環境と、それに伴うマインドが大きく変化してきたことにフォーカスしてみたい。

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これも数え上げればキリがないほどあるのだが、まず私が挙げたいのは「創造」と「コスト」のバランスの変化だ。

少なくとも1980年代後半から90年代前半までは、もちろん「コスト」は重要なファクターではあったのだが、そんな中でも「創造」を受け入れ、時にはコストと時間を掛けても研究、検討する余地が少なからずあった。そういう時代だったと言えばそれまれでだが、エンジニアや職工が、夢や遣り甲斐を持てていたのは確かだ。

しかしその後は「コスト」に対する比重が加速度的に増加し、いつの間にかエンジニアや職工の仕事はコスト低減なのか、と思わせる状態が定着してきた。

つまりは、開発当初から厳しいコスト上限が設定され、その枠に納まるようにエンジニアや職工は知恵を絞る、そこには新しいアイデアや付加価値を反映する余地はほぼない、というような状況だ。

表現的に多少の誇張があることはお許し願いたいが、創造力を発揮することすら憚られるマインドがこのようにして醸成されてきた、ということをご理解頂ければと思う。

エンジニアや職工は、ほぼ例外なく「ものづくり」が好きな人たちだし、そこに自身の創造力や工夫を反映していきたいと強く思って仕事をしている。

確かにコスト低減にもアイデアや工夫は重要だし、中にはそれに遣り甲斐を感じる人もいるだろうが、多くは発展的な創造性を発揮しイノベーティブな領域で自分の能力を活かしたいと思っているはずだ。
しかし多くのエンジニアや職工は、組織の方針や制約に縛られて持てるポテンシャルを発揮できないでいるのが実情ではないだろうか。

本文の冒頭に述べた山積した製造業の課題解決は、一朝一夕に出来るほど根は浅くない。
政府や多くの経営者は様々なシガラミや経験則に縛られていて、残念ながら早急な動きが出来る状況でもなさそうだ。

かといって、私の力など微力だが、バブル期以降の日本の製造業の凋落ぶりを前線で目の当たりにしてきた身として、エンジニアや職工の人たちを活性化させることで「ものづくり立国・日本」をボトムから復活させることが出来るでのはないか、いや、復活の一助になれるのではないかと考えている。

そのために、さまざまなエンジニアや職工の方々が、組織を離れたところで「ものづくり」を語り、イノベーションを生む場(コミュニティ)を作っていきたいと考えている。