Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

日本に根付いた「滅私奉公」の精神が「ものづくり」に与えた影響について考察してみた

日本には古くから「滅私奉公」という精神がある。
意味は読んで字のごとく「私を滅し、公に奉ずること」だ。

一般的には、明治時代に入って「軍人勅諭」(明治15年発布)や「教育勅語」(明治23年発布)により、この精神が普及したとされる。

もちろんその時代だから「公」とは天皇や国家であり、総力を挙げて列強諸国に対峙出来る国力を醸成すべく、天皇の名のもとに発布されたものだ。

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その後は「お国のために、天皇陛下のために」というスローガンのもと、軍や政権による行き過ぎた解釈と政策によって太平洋戦争で甚大なる犠牲を強いたことは間違いない。

そして今も、およそ150年前に日本人のDNAに刷り込まれたこの精神が日本社会に色濃く残っていることを痛感する場面は多い。

まさしく今、新型コロナウィルスに対して「対ウィルスの第三次世界大戦だ」と評する人も多いのだが、ウィルスに感染した人たちや営業自粛などによって収入が激減する人たち、さらには医療従事者に対する政府の対応を見ていると、国民の命を軽視するという点で、前の大戦の頃と何も変わってない印象が強い。今禍において今までに政府から出された愚策の数々を見ても、やはり日本国においては、いろいろな意味まだまだ「滅私奉公」なのだなと(嫌味も込めて)つくづく思う。

そして、企業においてもその精神は脈々と続いている。
本来、雇用側と被雇用側は雇用契約によって対等な立場であるはずが、実態は主従関係にあるという現実が「滅私奉公」のDNAのなせるワザなのだろう。
日本独特の終身雇用、年功序列などの制度がそうさせたのかもしれないし、それを当たり前として双方が満足して今までやってこれたのは、時代が良かったことに尽きるのだ。

しかし、日本式の雇用制度は維持できなくなると言われ始めて久しい。
正規雇用者を調整弁にして、需要変動への対応やコストの低減を図ってきたのは誰もが知るところだ。

「ものづくり」の分野においては、企業規模が小さくなればなるほど携わる製品も限られるし、他分野の技術や知識に触れる機会も少ない。
中には、社員は数名しかいないがオンリーワンの技術で世界の最先端をいっている企業もあるにはあるが、大多数は昔から受け継がれた、極狭い領域の得意分野を活かして経営されているのだ。

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そんな中、そういった企業に所属するエンジニアや職人の多くは、終身雇用を前提に「滅私奉公」で会社とともに人生を送り、他の分野に目を向けられないことで、みすみす自分の持っている可能性を活かすチャンスを逃してはいないだろうか。

もちろんその人が、その人生を幸せと感じていれば私にとやかくいう権利はない。しかし、ポテンシャルを持った人が、持てる技術の幅を広げたり、また他分野との融合でイノベーションを起こしたり、という機会が、所属する会社への「滅私奉公」によってを失われているのであれば、「ものづくり」分野における大きな損失のような気がしてならない。

新型コロナウィルスによって、多くの概念や常識が否応なく壊されようとしている。
私はこの機会に「滅私奉公」という古臭い精神も壊して、組織や会社の枠に縛られずに、さまざまな分野のエンジニアや職人が交流してイノベーションを生み出せる場が、今後の「ものづくり」に必要だと考えている。

残念ながら、日本企業の生産性の低さは世界でも指折りだ。
それも「滅私奉公」の精神に根差した無駄な時間の使い方が災いしているように思う。
今後は会社も終身雇用は維持出来ないし、年功序列も崩壊している。
そんな環境の中で「ものづくり」を愛するエンジニアや職人の方々は、会社の枠に縛られず、自分のポテンシャルを活かすためにもっともっと積極的に動いて欲しいと切に願う。