Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

ものづくりのコストに対する考え方

先週、ZOZOのYahoo!による買収が発表された。
最近のビジネスシーンでは何かと露出の多い、前澤友作孫正義、両氏ではあるが、まさかこういう絡みで並んで出てくるとは。

Amazonという小売/通販界のトップランナーが独走するなか、差別化の難しいこの業界で、このままZOZO単独で生き続けるのは厳しいのであろう。

そもそも、2兆5000億円を超える資金を研究開発費に注ぎ込むAmazonを、小売/通販業のカテゴリーで括るのは根本的に無理があるのだが。あのトヨタでさえ研究開発費は1兆円少々なのだから。

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量産品のコストの考え方

「良いもの」を作るために、何にどれだけのコストを充てるかは量産の世界と一品ものの世界では大きく違う。機械や設備を使って均質なものを大量に作るのと、手作りで一品一品を作るのでは、違って当然である。

ものづくりの世界においてはコスト低減は永遠のテーマであると、エンジニアとして仕込まれて育ってきた。100万個売ることを前提にした製品であれば、一個あたり100円コストを下げれば1億円のコスト低減が可能となる。これが量産メーカーエンジニアが向き合うコストの考え方の基盤である。

構造の簡素化や部品の共通化は設計部門が担うし、素材や部品の仕入コストならば調達部門が担うし、製造工程の合理化ならば製造部門が担うし、といったように分業されているが、組織としてそれを追い続けることでコストを減らし利益を捻出していく。もちろん、販売やアフターサービスまでも含めるともっともっと複雑なものなのだが、そこまで踏み込むと長くなるのでここでは省略する。


伝統工芸など一品もののコスト

伝統工芸などの一品ものには、それを当てはめるのは難しいと思われる。
代々受け継がれてきた伝統的な工法やノウハウがあり、材料や工具は専用に誂えられたものであり、そこには量産品のようなシステマチックなコスト低減が入り込む余地は、あまりないように感じる。

例えば、量産品では材料の仕入業者を幾つも競合させて仕入値を下げることなど日常茶飯時だが、伝統工芸品の世界では、材料が製品の価値を大きく左右するものがほとんどであろうし、そんな材料を準備出来る業者が幾つもあるとは思えない。ということは、自ずと寡占構造が出来上がりコストを下げることは難しい、となる。

しかし裏を返すと、それが一品ものの価値に繋がる部分でもあるのだが、あいにくその価値を正当に測る術は、残念ながら今の私は持ち合わせていない。前回も述べたように「良いもの」を作っても、売れないとビジネスは成立しないし、故に存続も難しくなるという、極めてシンプルな論理だけでしかない。


コストを下げるのか、高く売るのか

コストが1万円のものでも、買う側が100万円の価値を見出せば商取引は成立する、ビジネスの原理原則である。が、このような分野で、作り手側、売り手側がコストに神経質になることにどれだけの意味を見出せるのか、は、私には未知の領域である。それよりも価値をどうやって買い手側に伝えるか、に意味があると思うのではないだろうかと考えてしまう。

「良いものを作る」、「製品の価値を知ってもらう」、「コストを下げる」、「高く売る」、どれもがものづくりビジネスには大切なものだ。しかしそのバランスが、量産品と一品ものでは大きく異なるような気がしている。その中でも「コストを下げる」という部分の意識に最も大きな違いがあるのではないかと。

いずれにせよ、人から人に継承されていく伝統工芸のような世界では、その技術やノウハウに見合う報酬を得られることが、人材の確保、モチベーションの維持、醸成に繋がる大きな一つの要素であろう。

そしてその報酬をコストと捉えるのであれば、ビジネスとして成立し、存続が可能となる売値とコストのバランスに、もっともっと深堀し、見直せる部分があるのではないか、というのが量産メーカーエンジニアとしての目線である。