Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

私が経験してきたものづくりの世界

9月も2週目に入り、半期の決算を迎える企業も多いことだろう。
国際的な会計基準を導入し四半期毎に決算を行う企業が一般的になって久しいが、現場の、特に営業部門にとっては、実績の進捗フォローに神経を尖らせる時期である。当然ながら目標未達であればリカバリーを求められ、目標をクリアしたらしたで更なる上積みを求められ、どちらにせよ営業は楽な仕事ではない。

私は組織内エンジニアとして社会人生活の大半を過ごしてきたので、営業担当者としてその種のプレッシャーに晒された経験はほとんどないが、一方で、極めて大雑把な言い方だが、エンジニアには「限られた予算の中でどれだけ良いものを作るか」という別のプレッシャーが存在する。そして実は、それが組織内エンジニアにとっての永遠のテーマでもある。

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ものづくりに携わる人のマインド

ものづくりに携わる人間は、自分が納得出来るレベルを満たす「良いもの」を作るため、時間を忘れ仕事に没頭する、または没頭したいと思うのが当然だ。それは組織内エンジニアであろうが伝統工芸の職人であろうが、共通した思いであり、行動でもあると思う。私もその種類の人間なのでよく理解出来るのだが、そこには往々にして「自己満足」が優先してしまうケースが多いのである。

「良いもの」であることは誰が判断するのか

量産品にはほぼ例外なく競合がある。買い手に選んでもらい、競合相手とその製品を凌駕しないとビジネスとして成功ではないのは言うまでもない。つまりは「良いもの」かどうかを決めるのは買う側であって、作る側ではないということだ。エンジニアがどれだけ高いレベルで「自己満足」を満たしても、買う側から選ばれなければ、要は失敗なのである。


時代の移り変わりへの適応

日本も高度成長期の頃までは、「良いもの」さえ作っていれば、市場は認め、製品は売れる、と大手量産品メーカーまでもが、そう思っていた時代だった。確かにその頃は、競合も情報も少なく、今ほどのシビアなビジネス環境ではなかった。

しかしその後の市場環境の変化によって、そうそうたる大手量産品メーカーが幾つも経営危機に陥り、事実上破綻したり、外資系資本に経営を譲ったのはご存知の通りである。私が推測するに、それらのメーカーは経験則に基づいた慢心や驕りから抜け出すことが出来なかったのだろう。

日本には「良いもの」を作るために受け継がれてきた文化や伝統が、今も脈々と受け継がれているが、この時代の移り変わりへの適応が後手に回り、ビジネスとして危機的な状況に置かれている領域も多いと聞く。

数百年もの伝統を持つものが「良いもの」であることは間違いないのであって、今後はそれを今の時代に適応させ、さらにもう一歩踏み込んで、どう次世代に繋げていくのかについて、量産メーカーエンジニアの目線で考えていきたい。