Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

<哀悼>京都アニメーション放火事件

7月18日、京都市伏見区の「京都アニメーション」のスタジオが放火され、34人もの尊い命が奪われた。亡くなられた方々には心より哀悼の意を表したい。

犯人自身、大やけどを負い重篤な状態らしく明確な犯行理由は分からないが、どんな理由があるにせよ許されない行為であるのは明白だ。仮に回復したとしても、とても償いきれるものではない。御遺族の無念は計り知れないであろう。

実は私、「京都アニメーション」と同じ京都市伏見区に住んでいる。しかし恥ずかしながら「京都アニメーション」という会社がこの場所にあったことを、この件の報道を通じて初めて知った。

日本のアニメーションは世界的にも評価が高くファンも多いことは知っていたが、私の知識はその程度であった。しかし今回は大変不幸な出来事がキッカケではあったが、こんな身近な場所に世界的なカルチャーの発信地があったことを知り、改めて地元民として京都の懐の深さを思い知った。

こんなふうに書くと、往々にして「排他的」と捉えられがちなイメージの京都とは違うふうに受け止められるかもしれない。確かに「一見さんお断り」や「ぶぶ漬け」の話に代表される、地元の人にしか分からない文化や言い回しがあるのは確かだ。しかしそれらは単に「いけず(嫌がらせ)」をしているのではなく、それぞれに確たる理由があって古くから受け継がれてきたものである。

そもそも京都の文化は、平安京遷都以来、多くの人やモノが出入りする中で形成されてきた経緯があり、新しいものを柔軟に受け入れ、活かし、独創的なものを生み出すことの出来る土壌がある。任天堂を始めとする京都発祥の代表的な企業や、多くのノーベル賞受賞者を排出している京都大学は、そういった土壌のもとで生まれ育ってきたと言えるであろう。

そういう意味でも「京都アニメーション」も、京都の文化の一つのカテゴリーとして更なる飛躍があったであろうと思うと、今回の事件は本当に悔やまれる。

今後の一日も早い復興を祈念したい。