Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

今まで世界を席巻してきた日本の「ものづくり」が衰退した理由からポスト新型コロナ禍にやるべきことを考えてみた

新型コロナウィルスが世界中に猛威を振るっていて、まったく収束の糸口すら見えない。
もはや、治療薬やワクチンの開発か、免疫を獲得した人が大多数を占めるに至るかしか、望みはないのかもしれない。となるとまだまだ時間は掛かるし、それまでの間はウィルスと経済疲弊の両方との闘いであるのは間違いないだろう。

そして人類がこのウィルスを乗り越える頃には、今の世の中に存在する、多くの常識や概念が覆されているかもしれない。それは不確定要素ばかりの時代がしばらく続くことを覚悟しないといけないということだろう。

日本の戦後経済において「ものづくり」が成長の原動力だったのは誰もが知るところだ。
日本人の知恵の豊富さと手先の器用さときめ細かい気配りが散りばめられた「ものづくり」の、その秀逸さで世界中を席巻し、遂には貿易摩擦まで生んだしまった時代が懐かしいくらいになってしまった。

しかし今となっては日本の「ものづくり」は衰退の一途だ。
そしてそれに代わって、安倍政権以降は「インバウンドビジネス」の拡大方針を明確に打ち出し、日本の主たる産業となってきた。

日本には、外国の人々を魅了させる歴史や文化に裏打ちされた豊かな観光資源があるのは確かだし、その中心地である京都に住む立場として、私はその政策を否定するつもりは毛頭ない。しかし時代を遡ってみると、これが正しい姿とは到底思えないし、ある意味、国の無策が招いた妥協の産物とも思える。

では何故、妥協の産物だと私が考えるのかについて具体的に述べてみたい

日本の「ものづくり」に最も活気があり隆盛を極めたのは、間違いなく高度経済成長期であった。
それによって人口も、収入も、右肩上がりに増えた時代であり、終戦後のどん底を味わった日本人が一転して豊かさを謳歌出来た時代だった。

地方の中高卒者を工場労働者として大量雇用し、彼らによって大量生産された製品が、彼らによって大量消費されるという好循環によって経済成長し「一億総中流」を築き上げたのだ。

しかしそれは同時に、製造業の高コスト体質を醸成していくことになった。もちろんその陰には日本特有の年功序列、終身雇用も大きく関係しているのだが。

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その様子が明らかに変わり始めたのは90年代に差し掛かる頃からだ。
人件費を主としたコスト上昇が経営課題として重くのしかかり始めたことから、生産拠点を国内から海外に移す企業が急激に増えていったのだ。

これが日本の「ものづくり」にとって大きな転換点の一つとなった。
まず生産拠点が減ると、当然の如く工場(現場)で「ものづくり」に携わる、すなわちブルーカラーと呼ばれる人々の雇用が減少する。

今となってはブルーカラーと聞けば、労働者の中で下位のヒエラルキーに捉える人も少なからずいると思うが、実はこの人々が日本の「ものづくり」の発展を支え、また多くの優秀な人材を輩出してきたのだ。

日本が世界に誇る継続的な品質改善活動などは、まさしく現場力が生み出したものであったのだが、結果的にそうした人々が活躍する場を奪ってしまったことで、日本の「ものづくり」は衰退を決定づけることになったのだ。

そして製造業に代わる高卒者の受け皿として全国各地に大学が乱立されていき、大卒の看板を携えたホワイトカラー志望の学生が増えたことと、サービス業が中心となる「インバウンドビジネス」の拡大方針も相まって、うまく転換出来ていたように見えていたのだが、、、この新型コロナ禍が来襲するまでは。

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そもそも私から言わせると「インバウンドビジネス」は、ただ単に今あるものを活用しただけであって、何か新しい価値を生み出したものではない

今まさしく、外国人観光客をアテにしたこのビジネスの脆さが露呈している格好だし、関連の事業者はこの状況では何の打ち手もないのが現実だろう。言い換えると「インバウンドビジネス」は、観光資源に依存した他力本願の部分が大きく、根っこが何もないビジネスだったのだ。

本来は「ものづくり」の衰退に代わって、何か核となる産業の創出を官民挙げて取り組むべきだったのだが、その中心に「インバウンドビジネス」を据えてしまったことが、妥協の産物だと私が思う理由だ。

一方でアメリカでは、70年代からポスト自動車、ポスト家電を見据えて、シリコンバレーを中心に半導体や情報通信技術の研究開発が着実に進められており、その結果としてマイクロソフトGAFAなどを中心に第4次産業革命において世界を主導出来る立ち位置にあるのである。

新たに核となる産業を育てるためには官民挙げての優秀な人材確保と並々ならぬ努力が必要なのはどこも同じであるが、それが出来たアメリカと出来なかった日本、この期に及んでアメリカの後を追い掛けても追いつけるはずもなく、この30年以上のギャップを埋めることは不可能だと断言せざるを得ない。

ただ、今回の新型コロナ禍で、世界はこれからも相当なダメージを受け続けると想定される中、不謹慎ではあるが、大きなチャンスが訪れるかもしれないとの期待感が、私には少なからずある。

衰退してしまった日本の「ものづくり」を復活させるには、今までと同じことをやっていてはいけないのであって、今こそ、エンジニアや職人が持つ、斬新な発想と創造力を集結してチャレンジングな場を作っていければと思う。

100年以上経ってもほとんど進化していないのに、今も非常に重要な自動車の装備品とは

20世紀初頭、フォード・モデルTの開発、発売に端を発して市場に出始めた自動車。
2度の世界大戦を経て、兵器製造業から鞍替えしたメーカーの参入によって一般への普及が一気に加速し、庶民の手に届くものになった。

その後は、その時々の最先端技術を取り入れながら、走行性能、環境性能、安全性、快適性、などなどを進化させ、人やものを安全かつ快適に移動させる手段として、趣味やスポーツの道具として、時にはステータスシンボルとして、自動車は幅広い用途で世間に受け入れられていった。そしてこれからはMaaS(Mobility as a Service)と称する新たな概念のもと、移動手段としての自動車の価値が大きく変化していくことになるのだろう。

しかしこれほどの進化の一方で、フォード・モデルTの時代から現在まで、ほとんど進化していない部品や装備が残っているのも事実である。

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その代表例が「ワイパー」だ。
「ワイパー」の基本的な構造は、1903年アメリカで特許が成立している。
フォード・モデルTの発売が1908年だから、その5年前に既にこの構造が成立していたことになる。

その特許では、ラバーブレードとバネ付きアームの組み合わせによるもの、となっており、自動車に少し詳しい人ならお判りかと思うが、現在の自動車に装備されている「ワイパー」と同じ、すなわち約120年経過した現在でも基本構造は当時から大きく変わっていないのである。

もちろんブレードの材質や、雨滴感知や速度感応など付帯的な機能追加はあり、そういう意味では進化しているのだが、本来の「ワイパー」の目的である「フロントガラスに付いた雨滴を掃う」という部分の構造は同じままだ。それどころか、旅客機や船舶、電車など、他の多く乗り物にも、広く「ワイパー」が使われているのをご存じの方も多いだろう。

つまりこれは、約120年もの時間を経る中で世界中の幾多のエンジニアや学者が思考を巡らせても、「ワイパー」に取って代わる画期的な装置の開発には至らなかったことの証左である。

ましてや「ワイパー」は「重要保安部品」と呼ばれる、不備があると車検が通らない装備の一つであり、安全に走行するためにはなくてはならないものだ。
同じ「重要保安部品」でも、灯火類は電球からLEDになり、計器類もアナログからデジタルになり、警音器はラッパ式のホーンから電気式に変わってきたのだが、「ワイパー」だけは120年前のままなのだ。

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1990年代になって雨滴をはじくガラスコーティング材が出始め、代用品としてにわかに期待された時期もあったが、結局は今でも「ワイパー」が装備され続けているのは、安全面でも機能面でも「ワイパー」を凌駕するには至っていないからなのだ。

今や、あらゆる機能が電子制御化され、AIなどの最先端技術が満載されている現代の自動車だが、100年以上前のフォード・モデルTと同じ構造の装備が同居していることに、エンジニアとして何とも不思議な感覚を覚える。今となっては、当時にこの構造を確立させた人の先見性と発想力が素晴らしかったということだろう。

第4次産業革命に差し掛かり情報通信技術ばかりが脚光を浴びる状況となり、IT技術者やシステム系エンジニアが幅を利かせ、メカ系エンジニアは日陰に追いやられつつある製造業も多いと聞く。しかし、自動車だけでなく他の製品でも、こうしたメカ的な構造の中にも進化の余地があるものが数多くあるはずだ。メカ系エンジニアとして「ものづくり」のキャリアを過ごしてきた私としては、まだまだメカ系にも多くの進化の余地があることを知っているだけに非常に歯がゆい思いがあるが、私一人ではどうにもならないのは明白でもある。

だからこそ、いろいろなジャンルのエンジニアや職人がコラボできる場を作り、今までにないアイデアや知恵を創出していきたいと思っている。

新型コロナウィルスで負ったダメージを、大きなチャンスに変えていくには

1月後半に始まった新型コロナウィルス禍による世界的なパニック。
その後1か月半を経過して、世界経済へのダメージが顕在化してきた。
依然として先が見通せない中、世界中の株式や為替の相場が大きく混乱しリスク回避に走っている。

国内では、店舗の陳列棚に商品がないTV映像を真に受け、開店前から行列を作って、時には店員に無理な要求を突きつける高齢者の多いこと。現役を退いて自分たちの承認欲求が満たされる場がなくなり、立場の弱い店員を相手に、この時とばかりに食って掛かって優越感と達成感に浸っているように見えるのは私だけだろうか。もちろんそんな人たちは、ごくごく一部であることは承知しているが。

今はまだ、劇的に改善する状況は見えないので、ほとんどの人は不安の中にいるだろう。
しかし人類は、大昔から幾多の疫病を乗り越えてきた経験があり、今は冷静に立ち振る舞い、平常に戻ったときにどうするのかを考えていくべきではないだろうか。

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私は今回の事象によって、世の中のいろいろなものがリセットを強いられると予測している。

私が本ブログでテーマとしている「ものづくり」も、その一つだ。

世界中の製造業が中国に工場を作り、低コストでの生産を実現し利益を上げてきたのは言うまでもない。
しかし、今回のウィルス発生によって多くの製造業は、特定地域への生産拠点集中のリスクを痛感しているだろう。既に2002年のSARS流行の時よりも世界の実質成長率が下がる予測が出ているが、当時の失敗に懲りず利益追求のために突っ走った経営の失敗と言わざるを得ない。

広大な国土の大半が未開の地である中国には、今後もこういったリスクが付きまとうことは容易に想像できる。さらには、今後新たな経済発展が見込まれるアフリカは、中国よりもさらに感染症リスクが高い地域であり、アフリカへの投資も慎重にならざるを得ないかもしれない。したがって生産拠点の分散化、または国内回帰を喫緊に進める必要があるのではないだろうか。

そして、企業という組織やその運営も大きく見直す必要が出てくるだろう。

日本では「働き方改革」という言葉が独り歩きしているが、まだまだ多くの企業の就業規則や制度、運用に照らすと所詮「絵にかいた餅」であると実感している人も多いと思う。

しかし今回を機に、にわかに「リモートワーク」、「テレワーク」を推奨する企業が増えた。
制度がない会社が急に制度化したり、制度はあったものの実態としては使えない制度だった企業も、何とかして使えるよう運用を工夫し始めたようだが、あくまでも限られた職種や環境でのみ利用出来る状況に変わりはない。

また学校の休校によって、昼間に子供の面倒を見ることが出来ない家庭への対応もそうだ。
日本の企業には、これだけ共働き世帯が増えているにも関わらず、まだまだ専業主婦在宅前提の運用やルールが多いのはご承知と思う。

共働き世帯にとっては、辞令一つで容赦なく転勤させられたり、定常的な残業や休日出勤を強いられることが、大きな負荷であるのは言うまでもない。子どもの養育という意味では社会的な受け皿やサポートが必要なのは当然だし、官民一体となって、まずは意識改革から始めて欲しい。

これらはごく一部の事例であり、企業として、そして社会としてまだまだ課題は山積している。
そういう意味で今回の事象は、高度成長期から続いてきた企業の在り方と、過去の成功体験から脱しきれない時代錯誤の企業経営者たち、その両方がリセットされるべき時が来たのではないだろうか。

そして今回の経済的ダメージは政治にとっても、バブル崩壊リーマンショックのように他責っぽい雰囲気を醸し出してうやむやには出来ないものだ。明確な政策の失敗と言える部分も多々あり、ましてや一部自治体の首長の動きが非常に的確だったこともあって、現政権もリセットを強いられるかもしれない。

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そう考えると、今回のウィルス禍を「生みの苦しみ」と捉え、世の中を大きく変える転機としたい、いや、絶対にすべきではないか、少なからず犠牲を強いられているのだから。

いみじくも元号が令和に変わったこの機に、時代錯誤の経営者には退場してもらい、この災いを、時代に合った仕組みや運用で国民が幸せに暮らせる国に変えるチャンスとして活かせる人が、一人でも多く出現することに期待したい。

それによってこの国の「ものづくり」は活力を取り戻し、それに携わるエンジニアや職人が持てる力を存分に発揮し、新しい価値を創造できる社会になると信じている。

「ものづくり」の仕事が劇的に変わる過程で「職人」が減った理由とは

私が「ものづくり」を職業として携わり始めた頃は、丁度いろいろなツールやシステムがアナログからデジタルに切り替わる過渡期のど真ん中だった。

ドラフターや三角定規で描いていた図面がCADで描けるようになり、教本や公式集を片手に関数電卓を使ってチマチマやっていた強度や応力の計算、構造解析がコンピュータで出来るようになり、「ものづくり」の仕事が劇的に変わる過程を目の当たりにしてきた時代だ。

そしてそれに携わるエンジニアたちも同様に、アナログからデジタルへの変化適応力を求められた時代なのだが、今回は私がそこで見てきた、いろいろな「ものづくり」に関わる人やツールの変化について書いてみたい。

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まず、「ものづくり」のプロセスにおける「図面を描く」という業務、これはどんな「ものづくり」でも、ほぼ例外なくあるはずだし、伝統工芸などの分野でもそれに類して何か伝わったものあるだろう。しかし今の時代、鉛筆とドラフターと三角定規を使って描いている企業は、あまりないだろう。今では3次元CADが当たり前のように使用され、バーチャルでのモデリングはもちろん、応力や強度の解析まで出来、効率的かつ低コストで設計業務が出来てしまうのだから。

しかし私が見てきた、CADが導入される以前からこれを本職としていたエンジニアたちの中には、CADに対する抵抗感を拭い去れずにドロップアウトしていった人たちもそれなりにいた。当時はCADと云っても今のようにそれほど高度なものでなく、ただ鉛筆がマウスやキーボードに変わっただけ、というイメージだったような気がするのだが。

そんな人たちに共通する、私の中のイメージは「手描き図面職人」だ。

彼らが図面を描いていたのは30年以上前のことで、今でこそその人たちの描いた図面を見る機会はほとんどないが、その技術とセンスには本当に惚れ惚れしたのを鮮明に覚えている。

私自身、手描きで図面を描いた経験も多少はあるのだが、彼らの描いた図面は、投影図や断面図の配置とバランス、線の太さや強弱の使い方、文字の大きさ、バランス、正確性など、至るところに熟練の技が散りばめられていて、一朝一夕に真似出来るレベルでないことだけは確かだった。

そして自分の描いた図面がもとになっていろいろな工程を重ねて製品として仕上がり、ユーザーに渡っていくのを誇りに思っていたに違いない。

しかし残念ながら今は、私の周りにはこんな図面を描ける人は誰もいない、いるはずもない、今となっては必要のない技術でありスキルとなったのだ。

が、彼らは確実にその時代の「ものづくり」に貢献し、微力かもしれないが発展に貢献してきたのだし、その後も違う分野でその経験を活かしているだろう。何故なら彼らは「ものづくり」を本当に好きな人たちだったはずだし、大手製造業には数少なくなった「職人」と呼べる人たちだったからだ。

私はエンジニアとしてのキャリアにおいて、こういった時代の変遷によって変わっていった人、技術、仕組み、ツール、思考など、様々な移り変わりを見て、体感してきた。

そして今後も変わり続けるであろう「ものづくり」とその未来に、今までの経験を活かして少しでも貢献出来れば幸いだ。

いろんな束縛やしがらみから解き放たれたいエンジニアや職人の皆さんへのメッセージ

今回は、私の「ものづくり」に関するルーツについて書いてみる。
今までエラそうなことをいろいろ書いてきて、そろそろここに触れないと「こいつ何者?」と思われかねないので少々お付き合い願いたい。

私はこのようなブログを書いているが、実は今でも企業人、つまりはサラリーマンである。
訳あって、ここでは所属する会社名など詳細は明かせないが、それなりの大規模製造業で「バブル期」から長らくエンジニアをやってきた。

父方も母方も職人家系で幼少の頃からごく身近に「ものづくり」を感じて育ってきて、気が付いたらエンジニアになっていた、という感覚だった気がする。

思えば入社したての「バブル景気」の頃から現在まで、世の中や景気の動向変化は目まぐるしいものであったが、日本の高度経済成長がピークアウトしグローバル化へと急速に進む流れが、私のエンジニアとしての職歴に多大な影響を与えたと言わざるを得ない。と同時に、いろいろなジャンルのエンジニアとしてチャレンジや経験が出来たことに非常に感謝している。

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そんな私が何故「ものづくりの未来予想図を描きたい」といった、こんなブログを書き始めたのか? 

それは企業人としてやってきた「ものづくり」と、本来やりたいと思い続けてきた「ものづくり」とのGAPを埋めたいからに他ならない。言い換えると、企業人の立場では出来なかった、やりたくてもやれなかった、自由で束縛のない「ものづくり」を創造し実現出来る場を作りたいからだ。

当然のことだが、企業に入り「職業」になると自由気ままに自分のやりたいことをやらせてもらえるわけではない。いろいろな束縛やしがらみに縛られた中で「ものづくり」に携わるようになるのが自然な成り行きだが、それでも、私を含む多くのエンジニアや職人は「職業」としての「ものづくり」に自信と自負を持って取り組んでいるはずだ。

しかしその一方で、自分が持っている好奇心や創造力、培ってきたスキルやノウハウを、本職とは異なるカテゴリーやジャンルで活かしてみたい、またコラボレーションしてみたい、というような意欲を持っている人も少なからずいると思っているし、私も長年そう思い続けてきた。

時代も移り変わってSDG'sに代表されるような社会課題の解決に向けた取り組みに注目が集まる今日この頃であるが、日本ではまだまだ「大量生産、大量消費、薄利多売」の潮流が変えられていないし、安定志向のPDCAを回すオペレーションから抜けきれない経営者が大半だ。無論、人間は成功体験をベースに行動する生き物なので、過去の成功体験をベースに出世してきた現在の多くの経営者に、将来を見据えたイノベーションを要求するのは所詮無理だと思うのは私だけではないと思う。

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若干話が逸れたが私はこうした思いを通じてエンジニアや職人が、企業人としてではなく個人として、「働き方改革」で生み出される時間を使って「ものづくり」好きが集い、自由に制約を設けずアイデアや企画を出し合い「化学反応」を起こせる場(コミュニティ)が作りたいと思っている。そして将来的にSDG’sに貢献出来るほどの「もの」が生み出せる場(コミュニティ)になれば非常に嬉しい。

第4次産業革命の到来で将来を見通せない時代になったと言われる今こそが自分たちで何かを生み出すチャンスである。もちろん企業間や産官学連携での動きも活発に行われているが、エンジニアや職人が組織のしがらみから離れて「個」を融合させることでも時代の担い手になれると信じて活動を続けていきたい。

一極集中化した中国の生産拠点と、それに依存してきた製造業に今後起こる変化とは

まだまだ新型コロナウィルスの感染拡大は止まりそうな気配がない。

中国で完成品を生産しているメーカーはもちろんだが、三次請け、四次請けの現地企業から部品や素材を調達し、国内で完成品を作っている製造業も、稼働停止に陥りかねない状況になってきているようだ。聞くところによると、中国国内では従業員が2~3割しか出社しない、出来ない工場が多々あるようで、それでは生産が全くおぼつかないのは当然である。

前回も書いたが、中国を「世界の工場」として生産拠点を集中させ利益を上げてきた日本や欧米の製造業にとって、大きな路線変更を余儀なくされる深刻な事態だ。いくらコスト競争力強化と利益のためとはいえ、この生産一極集中に対するリスクを製造業各社はどの程度想定し、ヘッジしていたのか、今さらではあるが今後の動きに注目したい。

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私が考えるに方向性は大きく2つだ。

ひとつは、中国から新たな安い労働力を確保できる国への拠点移転によるリスク分散だ。
その候補としてはアフリカと南アジアだろうか。しかし政情不安定なところが多く安定操業を確保するのは難しそうだし、また未開の地が多いアフリカは中国よりさらに「疫病」リスクは高まるだろうし、そのために製造業各社は多くのコストを掛けなければならなくなるだろう。

もうひとつは、製造業の国内回帰だ。
これはトランプ大統領が就任前から唱えているものだが、製造業各社は反対しており進んではいなかった。しかし製品ジャンルによって温度差もあるようだったので、今回の事象によってどのように動向が変化するのか非常に興味深いところだ。

私自身は、日本が後者の動きになることを期待している。
何故なら、私が今後描いていきたい「ものづくりの未来予想図」にも大きな影響があると想定されるからだ。
現実的な課題が多くあることは十分に認識しているが、徐々にでも実現できれば日本の「ものづくり」再生に大きなインパクトがあるものになるだろう。

高度成長期に、日本が「ものづくり」で一気に世界の頂点に上り詰める過程で培われた、世界に誇れる技術やノウハウは、生産拠点の海外流出によって、また世代交代によって、その多くが消滅の危機にある。

後継者が育成出来ずに廃業の危機にある町工場や伝統工芸、町工場、地域企業はたくさんある。
そこに活力を与え再生させることが、日本の「ものづくり」を再生する道筋になるのではないだろうか。

例えば、衰退しつつある製品、技術、ノウハウと、最新の技術やノウハウのコラボレーションで、新たな縦横の繋がりを作り、化学反応を起こさせ、未来の「ものづくり」を創造することが出来ると考えている。全く違うジャンルやカテゴリーの製品や技術を融合させて、今までにない付加価値の製品、また社会課題の解決に繋がる製品を作り出すのが私の目指すところだ。

このブログでも何度も書いているが、少なくとも日本国内、そして先進各国における「大量生産、大量消費」の時代は間違いなく終わる。昨今、第4次産業革命と称して情報通信分野が脚光を浴びているが、それはそれとして、今後も「ものづくり」がなくなることはないのであって、逆に泥臭い手仕事のような「ものづくり」、人間の五感を駆使した「ものづくり」の将来を大切にしていきたいと常々思っている。

中国の感染症禍は昭和/平成型「ものづくり」の終焉を加速させ、次のステージに向かわせる

中国の武漢市から広まったとされる新型コロナウィルス。
日々、感染者は増え続けていて、いまだに収束の気配は見えない。
中国国内では数万人単位での感染者が出ているのは周知の通りで、このまま長引くようだと世界経済や産業にも影響が出てくると考えるのが妥当だろう。

1980年代中盤くらいから世界中の「ものづくり」企業が中国への生産シフトを進めてきた。
もちろんその目的は、人件費の安さを利用した低コスト生産によるコスト競争力強化なのは言うまでもない。
最近でこそ中国も、人件費が上がってメリットが薄れてきたことで、東南アジアなどへの再シフトが進んできているが、自動車や家電などはまだまだ中国生産が多いのが実情だ。が、しかし、その中国にこのような感染症禍が起こって機能不全に陥るリスクが顕在化しているのだ。

「規格品を大量生産、大量販売して利益を得る」という昭和/平成型の「ものづくり」ビジネスを展開してきた日米欧などの企業の多くは既に次の時代を見据えて動き始めている。中国を「工場」として機能させる時代は、もうそう長くないと多くの企業は思っているはずだ。今回の新型コロナウィルス発生によって、ある意味それを加速させる上手い口実が出来たのではないだろうかと考えてしまう。

そもそも欧米人は古くから中国を巨大マーケットとして捉え、長い期間を掛けて戦略的に動いているという話があり、その話が真実とするなら、その第一ステージが終わろうとしているのではないだろうかと思ってしまう。

もともと共産政権である中国の国民は裕福ではなく、欧米の製品を買えるだけの収入がある人はごく限られていた。しかし欧米企業は、14億人近い人口を抱える中国の購買ポテンシャルを掘り起こして、自分たちの製品を買わせれば莫大な利益が得られる、との考えから、まずは自分たちの工場を中国に移転させ、現地の人々を雇用し生産に従事させ始めたのだ。そこには、自国と中国の労働コストのギャップを利用して安く製品を作る、という目的とともに、将来の消費大国化を目論んだ中国国民の収入増、購買力増までを見越した戦略があったのではないか、という話があり、もし本当にそうなら、製造業の国内回帰を提唱しているトランプ大統領の方針もツジツマが合うのである。

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既にご承知のとおり、中国は30年前とは比べものにならないほど非常に豊かになっている。
全体の人口が多いとはいえ、日本の総人口と同数レベルの富裕層が存在すると云われるほどなのだから。
結果、iPhoneに代表される欧米企業の製品を挙って購入し、海外へ爆買いに訪れる中国国民が爆発的に増えた。ここまでを第一ステージを考えると欧米企業の作戦は大成功である。

一方で、賃金も上昇し購買力も上昇した中国は、欧米企業にとってはマーケットとしての魅力は拡大したが、「工場」としての魅力は、もうないと考えているだろう。さすがに今回の感染症禍までを彼らが仕掛けたものと考えるのは無理があるが、それでも「工場」の撤退、再シフトを一気に加速させる口実としては絶妙のタイミングではないか。

もっとも彼らのことだから、既に第二ステージのシナリオは周到に準備しているはずだ。もちろん、AI、ビッグデータ、ロボット、など、4次産業革命がベースになるのは間違いない。

そんな状況を見て、日本は今後どのように「ものづくり」に向き合うのか。
少なくとも少子高齢化、人口減少に直面している日本が向かうべきは、多くの製造業が抜け出せていない「大量生産、大量消費」の呪縛から、早急に抜け出すことであるのは間違いない。

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SDG'sなどの未来志向をベースに世の中を変えるためには、安定したオペレーションばかりが重要視される思考と仕組みを根底から変え、臆することなく自由な発想でクリエイティブに物事に取り組める社会を作ることに尽きる、と思うし、私は「ものづくり」の分野から変えていくことのお手伝いしていきたいと思っている。