Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

ノーベル化学賞受賞、台風19号による惨禍、そしてラグビー日本代表の快進撃、を見て思うこと

先週から今週にかけて、目まぐるしくニュースが飛び交う1週間だったと感じているのは私だけではないだろう。

先週末から日本列島に襲来した台風19号は多くの人命を奪い、家屋や農作物などに甚大な被害を与えた。事前の警戒が再三通知されていたにもかかわらず、これだけでの大惨禍になったことは非常に残念だ。ただ今回のような大雨による河川の氾濫や堤防の決壊で、今までの経験値に基づいた治水が通用しないことが明らかになった。地球温暖化の影響かどうかは私にはわからないが、過去に経験のないほどの自然災害が頻発している昨今、今までの概念だけで向き合うことは意味がないと改めて痛感した。

f:id:Subrow:20191014212210j:plain

ノーベル化学賞受賞の吉野彰さん

台風のニュースがあまりにもインパクトが強くて露出が一気に減ってしまい、非常に残念な思いがあるのが、リチウムイオン電池の開発を主導されてきた吉野彰さんのノーベル化学賞の受賞だ。リチウムイオン電池といえば、今や身の回りのあらゆるところにあることはご存じだろう。いや、リチウムイオン電池がなければ生活が成立しないレベルまで来ているといっても過言ではないかもしれない。

ご存知の方も多いと思うが、実はこの方は旭化成に勤務するサラリーマン研究者だ。
思い起こせば2002年に、同じノーベル化学賞を受賞された田中耕一さんも島津製作所のサラリーマン研究者だった。確かに受賞者ご本人たちは云うまでもなく素晴らしいのだが、こういった基礎技術の研究分野に理解を示し投資をし続けた企業側も称えられるべきではないだろうかと思う。事業化するまでに時間やコストがかかり、積極的に取り組めない企業も多いであろうことは想像に難しくなく、どうしても大学での研究が主導になりがちだ。しかし現代の世界的な知の競争から日本が取り残されないためには、こういう企業の積極的な研究への取り組みが非常に大切だと感じる。そういう意味でも非常に価値のある受賞であったのではないかと思う。


ラグビー日本代表

そしてラグビーW杯で、日本代表が4戦全勝で予選プールを首位通過したことも大きなニュースだ。
アイルランド代表に続いてスコットランド代表にも勝ち、この強さがフロックでないことを世界に証明した。日本代表の選手やスタッフや選手たちが、多くの犠牲を払ってこの大会のために打ち込んできた、と語っているが、ゲームの勝ち負けだけでなく、そういう自分たちを進化させる気持ちの強さ、ひたむきさが、これほどまでに「にわか」ラグビーファンを増やしているのだろう。


これらの3つのニュースに触れて思うこと

リチウムイオン電池の開発、普及とラグビー日本代表の躍進は、どちらも明確な意思と目標を持って努力を重ねてきた成果が実を結んだものだ。一方で台風は、人間がいくら努力しようとも避けることが出来ないものだ。言い換えると、人間の意思と努力で変えられるものと、変えることの出来ないもの、その両極端をこの短期間で目の当たりにした気がしている。

今回の台風で、ルートも勢力もほぼ予測されていた通りのものだったのにこれほどの甚大な被害が出たが、今後はいろいろな知恵と工夫でインフラ整備などが進められ、変わっていくことだろう。

さらに個人個人の災害に対する意識を変えることで犠牲者は減らせると思うが、こちらはなかなか進まない印象だ。今回も「川の様子を見に行ったが戻らず」といった犠牲者が何人かおられたようだが、台風や水害が起こるたびにこういう類の人が出るのは非常に残念だ。

今後もさらに巨大な台風が襲来するといわれているが、そういった個人レベルの意識変革が災害対策として必要な状況だと、改めて感じたこの数日だったし、あらゆる意味で変化を受け容れ、自身もそれに適応していくことが今後に繋がるのだと思った。

日本の「ものづくり」とそれを支える「職人」に対する評価について考えてみた

いきなりだが、松下幸之助本田宗一郎盛田昭夫井深大早川徳次、という名前は、ほとんどの皆さんがご存知だろう。云わずと知れた日本近代史における著名な起業家であり経営者だ。

彼らは独創的なアイデアと技術を試行錯誤しながら製品化し、量産化して、世界的な「ものづくり」企業を起こしたことで、社会的な地位と名声を得、後世に名を遺すまでに至った。

しかしその彼ら、実は元をただせば全て「職人」だ。
多かれ少なかれ、現場で油とホコリと汗にまみれて「ものづくり」に真摯に取り組んできた「職人」だった人たちなのだ。

f:id:Subrow:20191006205824j:plain


しかしご存知の通り、こうした先人たちが築いた日本の「ものづくり」は青色吐息の状態だ。
産業のグローバル化によるコスト競争にさらされ、合理化を迫られ、どんどん日本の「ものづくり」が衰退していく。量産の分野でも、コアな部分は「職人」の技術やノウハウにゆだねることもまだまだ多いのだが、それらの継承も難しくなっているのが実情だ。


トヨタの”現場叩き上げ”副社長

皆さんは、トヨタの河合満氏をご存知だろうか。
中学卒業後15歳で入社し、現場一筋55年、トヨタで初めて現場の「職人(自動車会社では”技能職”と呼ばれる)」から副社長になった人だ。彼は副社長になってからも工場に席を置いて執務を行っており、その理由は「現場にいないと勘が鈍る」というものだ。いかにも叩き上げの「職人」あがりの副社長らしい。

しかし私にとって、この河合氏が副社長に就任したことが話題に上ることに対して、非常に残念な思いがある。何故なら「ものづくり」の企業でありながら「職人」が要職に就くことが珍しいということを、この話が端的に表しているからだ。言い換えれば、一般的な「ものづくり」企業における「職人」は、社内ヒエラルキーの下層にいて、そうなれる可能性は非常に少ないということだ。

今の日本の「ものづくり」企業は、経営側に立たないと地位も報酬も上がらないのが一般的だし、どれだけ優秀で才能のある現場の「職人」がいても、その部分の評価だけで地位や報酬が大きく上がることはないのが実情だ。しかし日本の「ものづくり」は、こういう名もない「職人たち」によって支えられてきたといっても過言ではないのだ。


「職人」の社会的地位を上げたい

ドイツにはマイスター制度という「職人」を育成し、その社会的地位を正当に評価する仕組みがある。
しかし今の日本は、量産、伝統工芸、その他の分野も含めて「職人」が高い社会的地位を得るのは非常に難しい社会だ。もちろん社会的地位や報酬だけが全てではないだろうが、それが「職人」のモチベーションになり、また次世代の人材を確保出来るのなら、トヨタのような思考や、ドイツのマイスター制度のような仕組みを、もっと広く日本の社会に取り入れていくべきではないだろうか。そのために私に微力でも何が出来るのか、今後も考え続けていきたい。

トヨタは今、製品を売る事業から、モビリティサービスの提供者へシフトを進めているし、そうなるとGoogleなどのIT系企業と競合になり、社内の構造にも劇的な変化が必要になるだろう。
その一方で「職人」あがりの副社長をおいて長年築き上げてきた「ものづくり」を大切にしていく、そういう姿勢を見せるトヨタには懐の深さ、度量の大きさを感じざるを得ないし、こんな時代だからこそ、絶対にやるべきことなのかもしれないと思う。

ラグビーW杯 日本 vs アイルランド戦から感じた「日本人」のメンタリティの変化

開幕から1週間を経過したラグビーW杯日本大会。
昨日は、世界ランキング2位のアイルランド代表を日本代表が破り、かなりの盛り上がりを見せている。
東京オリンピックを来年に控えいろいろな競技で顕著なレベルアップが見られるが、その中でオリンピック種目ではないラグビー(7人制は採用されている)が、これほどのレベルまで来ているとは正直驚いた。
4年前のW杯で南アフリカ代表に勝った、あの試合から更なる進化を遂げていたことが証明された。

f:id:Subrow:20190929191830j:plain

昨日の試合後のインタビューでメンバーが明かした、試合前にヘッドコーチから選手たちに贈られた言葉。

「誰も勝つと思ってないし、接戦になるとも思ってない。僕らがどんな犠牲を払ってきたか、誰も分からない。勝利を信じているのは自分たちだけ」

この試合に懸けていた関係者全員の思いが詰まった、素晴らしい言葉と感じた。

が、彼らは本当に途轍もないハードワークを積んできたのだと思う。
その内容は想像するしかないのだが、一つの目標に向かって意思統一をし、それを実現するための方法論を突き詰め、それを全員で共有、理解し、達成出来ることを信じて一人ひとりが与えられた役割に真摯に取組む、ということなのだろう。


明治以降の日本人のメンタリティ

明治維新以降、国を挙げて欧米列強に追い付け追い越せと「富国強兵」に取り組んだ日本。
資源も乏しく技術も未熟だった日本が、欧米諸国に肩を並べられるようになったのは、明治以降の日本人に刷り込まれた「滅私奉公」のメンタリティによって築き上げられてきた部分が大きい。

が、その独特のメンタリティが数多くの悲劇を生んできたことも事実だ。
戦車も、船も、飛行機も、弾薬も、物資も、全く足りない、全く勝ち目のない戦争に突き進んだのも、このメンタリティが大きく作用しているのではないか。精神論を振りかざして、兵隊に食糧を与えなくても、武器や弾薬を与えなくても「大和魂」さえあれば勝てると言い続けた軍上層部は、まさにその象徴的な人たちだ。ましてや、その兵隊たちの大半はロクな訓練も受けていない、その辺の若者たちなのに。
(ちなみに私のブログは思想的な背景は全くないので誤解なきよう)


ラグビー日本代表が教えてくれたもの

若干話が逸れたが、戦後70年以上が経過してようやく日本も、精神論だけでは勝つことが出来ないものが世の中にはたくさんあることに気づいてきたのだろう。私はこのラグビー日本代表を見てそう思った。

勝負に勝つためには、何が必要で、何をすべきか、を彼らは徹底的にやり尽くした。
外国出身のコーチや選手を日本に招聘し、自国代表ではなく敢えて日本代表でプレーする選択をさせたことで戦力は揃った。そこには日本ラグビーの魅力と可能性を伝え、彼らに「日本のために戦おう」と思わせた日本ラグビー界全体の弛まぬ努力と環境整備があったのは云うまでもないだろう。

そしてもう一つは、戦術面の意思統一と実行スキルの徹底強化であろう。
戦力が揃えば立てられる戦術のバリエーションが増えるのは当然なのだが、それでも、その戦術を自分たちのものにして実行出来るように仕上げていくのは、並大抵の努力ではなかったはずだ。それが前述の「僕らがどんな犠牲を払ってきたか、誰も分からない」というヘッドコーチの言葉に凝縮されている気がした。

そもそも私は精神論を前面に押し出した体育会系のノリが大嫌いな人間だ。
最近でこそ減ったようだが、全く意味の分からない苦しいだけの練習や、先輩からの愛のない単なるシゴキは、一昔前の体育会系なら当然のようにあった話だ。だからこの話は、日本人のメンタリティの変化の端緒を見た気がして非常に嬉しいのだ。


日本企業は見習って欲しい

しかし日本の企業においては、この明治維新ゆかりの「滅私奉公」が、いまだに大きく幅を利かせているのが実態だ。いわゆる「ブラック企業」と呼ばれる領域は論外としても、社員に理不尽な自己犠牲を強いて成り立っている企業が日本にはまだまだ多くある。全く現実離れした売上や利益の目標、コスト削減、人員計画など、これでは前の大戦の頃と同じメンタリティではないか。

確かにスポーツとビジネスを同列には扱えないが、少なくともこれほど理不尽な自己犠牲を強いて、非効率なビジネスを進めている国は他にあまり見当たらない。

第二の産業革命と呼ばれビジネス構造が大きく変化している時代、日本企業が今後も生き残っていくために、「働き方改革」などという形式的なものではなく、まずこのメンタリティの改革に取り組むべきではないのか、と切に思う。

「購入する、所有する」という行為の価値観が大きく変わる時代を迎えて

10月も目前となり、巷では増税前の駆け込み需要を狙った商戦が繰り広げられている。
増税前に2%の支出増を避けて買うか、増税後のそれ以上の値下げを狙って買うか、売り手にも買い手にもいろいろと思惑があるようだが、今回は軽減税率の導入やキャッシュレス化の推進などもあって、当面は混乱が避けられないのかもしれない。

そのような中、従来のもの売りビジネスから、サービス提供ビジネスへのシフトが起こっているのはご承知のことと思う。今のところカーシェアリングサービスなどが代表例であろうが、今後は様々なカテゴリーでサービス提供ビジネスが急速に展開されていくであろう。

f:id:Subrow:20190721083059j:plain

ある伝統工芸の匠との出会い

そんな中、私はその流れに全く逆行する「購入する、所有する」が大前提となる「伝統工芸」の世界が、今後も末永く継承されていくためのお手伝いをしたいと考えている。そしてそのために、その分野の匠と呼ばれる人たちとの交流機会を求めて活動している。

私は今春、江戸後期創業の伝統工芸の老舗当主と、とあるイベントを通じて知り合った。

そのイベントは公募で希望者を募り、彼自身の工房や製品を紹介する場だった。然るに私以外にも大勢のギャラリーがいて、当主とマンツーマンで会話する機会はほとんどなかった。

しかしそこで当主が話されていた内容に、私の中にある「職人」のイメージとはかなり違っていたものを感じて、改めて話してみたいと思い、しばらくして再度の面会を申し込んだ。


「伝統工芸」に対する先入観と現実

唐突なお願いにも関わらず当主は快く応じてくれた。
私の経験や「ものづくり」や「伝統工芸」対する思いを聞き、また自身のキャリアや思いも語ってくれた。
「職人としての頑なな部分」と「経営者としてのビジネス感覚」の両方を持ち合わせている人だと感じた。

そしてしばらく話をする中で、当主の口から衝撃的な言葉が出てきた。
「ものを作って、売ってビジネスが成立する時代はもうすぐ終わると思っている」と。

「伝統工芸」の老舗当主なのだから、当然ものづくりにこだわりがあり、次世代に継承すべき伝統もあり、という保守的な考えが最優先だと勝手な先入観を持っていたのだが、実はそうではなかったのだ。

その後、いろいろ話しているうちに彼の原点とも思える一節が出てきた。
「ビジネスとして成立させ続けていかない限りは、伝統の継承も出来ない」
というものだった。

彼は「伝統の継承」と「ビジネスとしての成立」の両立こそが、当主である自らの使命であると捉え、そのために何をすればいいのかを常に考え行動しているのがよく分かる。そして次の展開を見据え「伝統工芸」ならではのサービス提供ビジネスを構想しているそうだ。

現在でも、国内、海外で展示会を開き、デザイン分野の学生との交流機会を設け、もちろんオンライン販売も取り入れ、店舗には外国語対応可能なスタッフを置くなど、時代の変化に柔軟に対応している。
また次世代を担う後継職人にも十分な待遇とモチベーションを与え、志を持って取り組める環境を提供している。

今や、時代の流れに取り残され衰退していく「伝統工芸」も多い中、しっかりと現実を直視して、将来を見据え行動されている当主の姿を見て、自身の活動に大いなる刺激を与えてもらった気がしている。

ものづくりのコストに対する考え方

先週、ZOZOのYahoo!による買収が発表された。
最近のビジネスシーンでは何かと露出の多い、前澤友作孫正義、両氏ではあるが、まさかこういう絡みで並んで出てくるとは。

Amazonという小売/通販界のトップランナーが独走するなか、差別化の難しいこの業界で、このままZOZO単独で生き続けるのは厳しいのであろう。

そもそも、2兆5000億円を超える資金を研究開発費に注ぎ込むAmazonを、小売/通販業のカテゴリーで括るのは根本的に無理があるのだが。あのトヨタでさえ研究開発費は1兆円少々なのだから。

f:id:Subrow:20190915193429j:plain

量産品のコストの考え方

「良いもの」を作るために、何にどれだけのコストを充てるかは量産の世界と一品ものの世界では大きく違う。機械や設備を使って均質なものを大量に作るのと、手作りで一品一品を作るのでは、違って当然である。

ものづくりの世界においてはコスト低減は永遠のテーマであると、エンジニアとして仕込まれて育ってきた。100万個売ることを前提にした製品であれば、一個あたり100円コストを下げれば1億円のコスト低減が可能となる。これが量産メーカーエンジニアが向き合うコストの考え方の基盤である。

構造の簡素化や部品の共通化は設計部門が担うし、素材や部品の仕入コストならば調達部門が担うし、製造工程の合理化ならば製造部門が担うし、といったように分業されているが、組織としてそれを追い続けることでコストを減らし利益を捻出していく。もちろん、販売やアフターサービスまでも含めるともっともっと複雑なものなのだが、そこまで踏み込むと長くなるのでここでは省略する。


伝統工芸など一品もののコスト

伝統工芸などの一品ものには、それを当てはめるのは難しいと思われる。
代々受け継がれてきた伝統的な工法やノウハウがあり、材料や工具は専用に誂えられたものであり、そこには量産品のようなシステマチックなコスト低減が入り込む余地は、あまりないように感じる。

例えば、量産品では材料の仕入業者を幾つも競合させて仕入値を下げることなど日常茶飯時だが、伝統工芸品の世界では、材料が製品の価値を大きく左右するものがほとんどであろうし、そんな材料を準備出来る業者が幾つもあるとは思えない。ということは、自ずと寡占構造が出来上がりコストを下げることは難しい、となる。

しかし裏を返すと、それが一品ものの価値に繋がる部分でもあるのだが、あいにくその価値を正当に測る術は、残念ながら今の私は持ち合わせていない。前回も述べたように「良いもの」を作っても、売れないとビジネスは成立しないし、故に存続も難しくなるという、極めてシンプルな論理だけでしかない。


コストを下げるのか、高く売るのか

コストが1万円のものでも、買う側が100万円の価値を見出せば商取引は成立する、ビジネスの原理原則である。が、このような分野で、作り手側、売り手側がコストに神経質になることにどれだけの意味を見出せるのか、は、私には未知の領域である。それよりも価値をどうやって買い手側に伝えるか、に意味があると思うのではないだろうかと考えてしまう。

「良いものを作る」、「製品の価値を知ってもらう」、「コストを下げる」、「高く売る」、どれもがものづくりビジネスには大切なものだ。しかしそのバランスが、量産品と一品ものでは大きく異なるような気がしている。その中でも「コストを下げる」という部分の意識に最も大きな違いがあるのではないかと。

いずれにせよ、人から人に継承されていく伝統工芸のような世界では、その技術やノウハウに見合う報酬を得られることが、人材の確保、モチベーションの維持、醸成に繋がる大きな一つの要素であろう。

そしてその報酬をコストと捉えるのであれば、ビジネスとして成立し、存続が可能となる売値とコストのバランスに、もっともっと深堀し、見直せる部分があるのではないか、というのが量産メーカーエンジニアとしての目線である。

私が経験してきたものづくりの世界

9月も2週目に入り、半期の決算を迎える企業も多いことだろう。
国際的な会計基準を導入し四半期毎に決算を行う企業が一般的になって久しいが、現場の、特に営業部門にとっては、実績の進捗フォローに神経を尖らせる時期である。当然ながら目標未達であればリカバリーを求められ、目標をクリアしたらしたで更なる上積みを求められ、どちらにせよ営業は楽な仕事ではない。

私は組織内エンジニアとして社会人生活の大半を過ごしてきたので、営業担当者としてその種のプレッシャーに晒された経験はほとんどないが、一方で、極めて大雑把な言い方だが、エンジニアには「限られた予算の中でどれだけ良いものを作るか」という別のプレッシャーが存在する。そして実は、それが組織内エンジニアにとっての永遠のテーマでもある。

f:id:Subrow:20190908173522j:plain


ものづくりに携わる人のマインド

ものづくりに携わる人間は、自分が納得出来るレベルを満たす「良いもの」を作るため、時間を忘れ仕事に没頭する、または没頭したいと思うのが当然だ。それは組織内エンジニアであろうが伝統工芸の職人であろうが、共通した思いであり、行動でもあると思う。私もその種類の人間なのでよく理解出来るのだが、そこには往々にして「自己満足」が優先してしまうケースが多いのである。

「良いもの」であることは誰が判断するのか

量産品にはほぼ例外なく競合がある。買い手に選んでもらい、競合相手とその製品を凌駕しないとビジネスとして成功ではないのは言うまでもない。つまりは「良いもの」かどうかを決めるのは買う側であって、作る側ではないということだ。エンジニアがどれだけ高いレベルで「自己満足」を満たしても、買う側から選ばれなければ、要は失敗なのである。


時代の移り変わりへの適応

日本も高度成長期の頃までは、「良いもの」さえ作っていれば、市場は認め、製品は売れる、と大手量産品メーカーまでもが、そう思っていた時代だった。確かにその頃は、競合も情報も少なく、今ほどのシビアなビジネス環境ではなかった。

しかしその後の市場環境の変化によって、そうそうたる大手量産品メーカーが幾つも経営危機に陥り、事実上破綻したり、外資系資本に経営を譲ったのはご存知の通りである。私が推測するに、それらのメーカーは経験則に基づいた慢心や驕りから抜け出すことが出来なかったのだろう。

日本には「良いもの」を作るために受け継がれてきた文化や伝統が、今も脈々と受け継がれているが、この時代の移り変わりへの適応が後手に回り、ビジネスとして危機的な状況に置かれている領域も多いと聞く。

数百年もの伝統を持つものが「良いもの」であることは間違いないのであって、今後はそれを今の時代に適応させ、さらにもう一歩踏み込んで、どう次世代に繋げていくのかについて、量産メーカーエンジニアの目線で考えていきたい。

私が本格的にものづくりの世界に足を踏み入れたキッカケとは

9月に入り、今年も台風の季節だ。
京都を含む近畿地方も昨年は、平成最強とも云われた台風21号の襲来で甚大な被害を受けた。
平安京遷都とほぼ同時に建立されたとされる平野神社の本殿が風に煽られ倒壊したのをはじめ、嵐山渡月橋の欄干も横倒しになり、その他、二条城、北野天満宮など40か所近い旧所名跡で社の損壊や倒木の被害があったそうだ。今年はそのようなことのないように願いたいのだが、昨今の気象状況から察するにリスクは年々高まっていくのだろう。

そんな京都で私が生まれたのが、前回の東京オリンピックの翌年である1965年(昭和40年)である。
高度成長期の真っ只中で新幹線や高速道路などのインフラ整備が一気に進み、国民の暮らしも右肩上がりだった時代だ。

スーパーカーブーム

私の幼少期については前回書いたが、今回は、私を「ものづくり」にさらに傾倒させた、もう一つの大きな出来事について書きたい。

その出来事とは1976~1978年頃、つまり私が小学校から中学校に上がる前後に起こった「スーパーカーブーム」である。少年ジャンプに連載されていた「サーキットの狼」という漫画がキッカケで空前のブームとなった。(下の写真は当時人気No.1だったランボルギーニ カウンタック


f:id:Subrow:20190831180917p:plain

スーパーカー」とは高出力、高性能かつ美しいデザインを持ったスポーツカーの総称である。今でも高級スポーツカーとして有名な、フェラーリランボルギーニ、ポルシェなどが展示されるイベントがあちこちで開催され、カメラを持った小中高生が長蛇の列を作った。もちろん、私もその一人であったのだが。

そしてその後、F1などのモータースポーツが一大ブームになったこと、またバブル景気で大金を手にした人たちが、こぞってスーパーカーを乗り回していたことなどは、少なからず「スーパーカーブーム」の流れを継承していたのではないだろうかと思ってしまう。

エンジニアへの志と齢を経ての実感

少し前段が長くなってしまったが、私自身もこのブームに影響を受け自動車メーカーのエンジニアを志すことになる。前回で書いた幼少期の経験と重なって、自動車に「乗る」より「作る/造る/創る」に強い関心が向くようになっていたからである。そして何とか夢を叶え、自動車メーカーに就職しエンジニアになることが出来た。しかし当時を振り返ると、自動車が大好きではあったが、一方で「ものづくり」に対する意識や考え方はかなり漠然としたものであったように思う。

そして今になって、幼少期に体感した職人マインドが基盤となる手しごとの分野、そして後に職業として体感した合理的生産手法を追求する大量生産の分野、これらが同じ「ものづくり」でも、似て非なるものであることに今更ながら気づく。「ものづくり」の奥深さ、幅の広さ、更には、それぞれの作り手の考え方や思い入れなど、どれだけ掘り下げても掘り下げきれないものがあることを、この歳になってようやく気づき始めている。いや、ようやく頭の中で整理がつき始めてきたと云うほうが正しいかもしれない。

私は今後、そんな経験と思いを基盤に「ものづくり」の将来、特に「伝統工芸」の将来に何かお役に立てないか、と思っている。その思いは今後のブログで、少しずつ具体的に書いていきたい。