Subrow’s Blog

エンジニアとしてのキャリアをベースに「ものづくり」の昔と今、そして未来予想図をこのブログを通じて創っていきます

【京都の夏は暑い!!】「京町家」に施された知恵と工夫

山鉾巡行も済んだし、そろそろ梅雨明けやで~」

幼い頃に祖母からよく聞かされた言葉だ。

今年もその言葉通り、祇園祭りの前祭山鉾巡行が終わり京都の暑い夏が来た。

今更説明の必要もないと思うが、京都は三方を山に囲まれた盆地であり寒暖の差が激しい。「徒然草」にも「暑き此(ころ)わろき住居(すまい)は堪えがたき事なり」との著述があるように、鎌倉時代から京都の暑さは格別だったようだ。

そんな先人たちがその暑さに耐えかねて、あらゆる知恵や工夫を凝らして涼しく暮らせるように作り上げてきたのが「京町家」だ。

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もともと「京町家」は間口が狭く奥に細長いのが一般的とされ、それが「うなぎの寝床」と言われる所以である。これは商人や職人が、道に面した部分を仕事場、奥側を住まい、とするスタイルが定着してきた江戸時代から見られるようになったようだ。

 

涼しく暮らす工夫と知恵

「京町家」には、大きく分けて涼しく暮らす工夫が二種類ある。

一つは物理的に風通しをよくして家の中にこもる熱を排出するもの、もう一つは視覚的、聴覚的に涼を感じられるようにする工夫である。

 

物理的に風通しをよくする工夫としては、外の風を取り入れるために軒先に配う「表格子」、屋根裏にこもる熱を排出するため中二階に配う「虫籠窓」、そして家の表から奥まで貫くように通路を作る「通り庭」が代表的なものである。

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最も風情の感じられる「坪庭」は視覚的な涼を感じると同時に、そこに打ち水をして気流の流れを作る役割もある。

あとは季節に応じて建具や敷物を替えたり、簾や葦簀(よしず)を使ったりする。

今や街中には「京町家」をリノベーションしたカフェや飲食店が並んでおり、多くの観光客を集めているし、今後もいろいろな用途で「京町家」が活かされていくことは大歓迎だ。

さらに「京町家」が本来持つ機能や魅力を失うことなく、先人の知恵と工夫を感じてもらえるものであり続けて欲しいと願う。

 

 

 

<哀悼>京都アニメーション放火事件

7月18日、京都市伏見区の「京都アニメーション」のスタジオが放火され、34人もの尊い命が奪われた。亡くなられた方々には心より哀悼の意を表したい。

犯人自身、大やけどを負い重篤な状態らしく明確な犯行理由は分からないが、どんな理由があるにせよ許されない行為であるのは明白だ。仮に回復したとしても、とても償いきれるものではない。御遺族の無念は計り知れないであろう。

実は私、「京都アニメーション」と同じ京都市伏見区に住んでいる。しかし恥ずかしながら「京都アニメーション」という会社がこの場所にあったことを、この件の報道を通じて初めて知った。

日本のアニメーションは世界的にも評価が高くファンも多いことは知っていたが、私の知識はその程度であった。しかし今回は大変不幸な出来事がキッカケではあったが、こんな身近な場所に世界的なカルチャーの発信地があったことを知り、改めて地元民として京都の懐の深さを思い知った。

こんなふうに書くと、往々にして「排他的」と捉えられがちなイメージの京都とは違うふうに受け止められるかもしれない。確かに「一見さんお断り」や「ぶぶ漬け」の話に代表される、地元の人にしか分からない文化や言い回しがあるのは確かだ。しかしそれらは単に「いけず(嫌がらせ)」をしているのではなく、それぞれに確たる理由があって古くから受け継がれてきたものである。

そもそも京都の文化は、平安京遷都以来、多くの人やモノが出入りする中で形成されてきた経緯があり、新しいものを柔軟に受け入れ、活かし、独創的なものを生み出すことの出来る土壌がある。任天堂を始めとする京都発祥の代表的な企業や、多くのノーベル賞受賞者を排出している京都大学は、そういった土壌のもとで生まれ育ってきたと言えるであろう。

そういう意味でも「京都アニメーション」も、京都の文化の一つのカテゴリーとして更なる飛躍があったであろうと思うと、今回の事件は本当に悔やまれる。

今後の一日も早い復興を祈念したい。

祇園祭は京都と世界の伝統工芸品展覧会

祇園祭はそろそろクライマックス。

17日の前祭山鉾巡行を控え、既に組み上がった山鉾の周囲では祇園囃子が流れ、浴衣姿の老若男女が行き交う、そんな風情が何とも心地よい。

そして、それぞれの山や鉾に吊り下げられた前掛、胴掛、後掛、水引、見送などの懸装品は、美術館さながらの絢爛豪華な品々である。

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これらの品、京都といえば西陣織と思われそうだが、実は世界各国からの渡来品を輸入して飾ってきた歴史がある。中国、西アジア、ヨーロッパなどシルクロードを介して運ばれてきた品々である。上の写真、よく見るとキリンが描かれているのがわかる。その他にもラクダやフクロウなどが描かれていたりして、日本伝統の祭りでありながら異国文化に触れることも出来る、ある意味珍しい祭りであると言える。

一方、もちろん日本古来の西陣織が施された懸装品も多数ある。それらの中には円山応挙伊藤若冲尾形光琳など著名な近代日本画家の作品を用いたものも見受けられる。これらは、室町時代の終わり頃が発祥とされる西陣織の、およそ500年もの時を脈々と受け継がれてきた技術の結晶であり、非常に文化的価値の高い貴重な品々である。

しかしその日本の代表的な染織文化である西陣織も衰退が著しく、今や窮地にあると聞く。和装の需要低迷、職人の高齢化、後継者不足、が主な要因となっているそうだ。

この業界に親しい方からは「もう手遅れだ」と半ば諦めに近い声もある。

一方で業界団体などは、何とか維持、復活させたい思いで、いろいろと施策を打ってはいるようだが簡単にはいかないのが現実のようだ。

京都で生まれ育ち、これからの京都のさらなる発展を願う身として、今後も西陣織の絢爛豪華な懸装品が飾られ続ける祇園祭であり続けて欲しいと、切に願いたい。

 

7月の京都といえば祇園祭

7月1日、また今年も京都では祇園祭が始まる。

夏の京都の最大イベントで、ただでさえ溢れている観光客が更に膨れ上がること間違いなし。京都三大祭り(あとは葵祭時代祭)の中では知名度インパクトは恐らく一番であろうか。

しかし、祇園祭が7月1日から31日までの間に、いろんな行事を積み重ねて成立している祭りってことは、以前はあまり知られてなかったらしいが、メディアでいろんな情報が流れるようになってきて広く知られてきた。

その影響か最近では、祇園祭の全てを見て、知りたいという外国人富裕層が1ヶ月間滞在していく、なんてことも珍しくないらしい。

もともと祇園祭は、非常に芸術性の高い祭としても知られていて、各山鉾町が保有している国宝級や重文級の屏風や鎧装束、山や鉾に飾られる数千万円級の懸装品などに興味を持つ外国人が多いらしい。

一方で、それだけのモノを保有し維持していくためには相当なお金が必要になる。もともとは各山鉾町内での会費や企業からの寄付金で賄われていたものらしいが、常に資金繰りが大変で、中には参加を止めざるを得ない山鉾町が幾つも出ていたようだ。

しかし最近では、その魅力が広くシェアされるようになりクラウドファンディングを通じて世界中から資金が集まるようになった。資金難で参加を取りやめていた山鉾町もそのおかげで復活してきて、ここ数年は巡行に加わる山や鉾も増えているらしい。

それもこれもネットを通じた情報シェアが大きな役割を果たしていることは間違いない。

古いものと新しいものの融合によって、Win-Winの関係が築かれた典型的なモデルケースのように思えるし、今後の活動に大いに参考にしていきたい。